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    鳥羽大庄屋かどやについて・・・

    • 2015.04.25 Saturday
    • 12:48

    鳥羽大庄屋かどや「2階押入れについて」
    かどやの2階押入れには、当時湿気とりとして貼られていた新聞紙が今も残されています。かどやが薬屋を営んでいた時の業界紙で、とても貴重なものです。
    そして、なぜ薬の業界紙の中に「資生堂」の文字があるのか疑問に思っていたので調べてみました。

    資生堂の歴史…...
    資生堂は、1872年(明治5年)東京銀座に調剤薬局(洋風調剤薬局)として開業したのが始まりだそうです。
    資生堂の創業者、福原有信(1848-1924)画家を目指していたが、父の希望に従い薬学の道に進んだ。祖父は漢方医であった。
    当時は、なかなか賑わいもつかず試行錯誤。
    そして、資生堂のユニークな試みが話題を呼ぶこととなる。
    開局から30年後の明治35年(1902年)福原が旅先のアメリカで見たドラックストアをヒントに店内の一角にソーダファウンデンを設けた。薬局としてスタートしたが、化粧品部門と並行しながら薬剤や生薬を利用した薬を自己生産することを思いついたそうです。

    資生堂の歴史、企業の創造理念、企業の資産や文化。
    知ればしるほど魅了されました。

    鳥羽大庄屋かどやの中に隠されている秘密を探し、調べアップさせていただきます。

    @tama