◎鳥羽大庄屋かどや 「トイレについてのお話し」
鳥羽大庄屋かどやには明治の染付のトイレがあります。
当時の呼名は「非水洗式和風小便器」と呼ばれていたそうです。
染付の色や柄、当時はこのスタイルが主流だったのか気になり少し調べてみました。
【非水洗式和風小便器】
向高(むこうだか)と呼ばれる桶型の小便器。
溜まった小便を定期的に捨てる方式のものであったそうです。
そのうち便器の底に穴をあけ固定式にし、使用するものへと変化していったそうです。明治になってから便器は木製から耐久性のある陶器で製作されるようになりました。
陶磁器製の便器が盛んに生産されるようになるのは、明治時代中期。
明治24年(1891年)に愛知県と岐阜県濃尾大震災が起き、旅館や料亭、富裕層が復旧家屋の上方(お客様)便所用に瀬戸(愛知県)で作られた染付便所を設置したのが大流行となりました。そして、東海地方から全国に普及していったそうです。
当時、青と白の組み合わせがお洒落だという感覚が広がり、人々にとってあこがれの対象となりました。
涼しさ、みずみずしさの象徴となりました。
日本人が古くから愛してきた染付の色彩は誰からも好まれ、永遠と受け継がれ残されているものもあるそうです。当時明治の人々達は日本人の暮しにしっくりなじむ色彩美をタイルにも表現したといわれています。どの時代でもゆるがないもの、愛されるものづくりは変わらないとわかりました。
鳥羽大庄屋かどやには、台所にもタイルがあります。
そのタイルも当時はとてもハイカラといわれ廣野家の、「お洒落をどんなところにも忘れない心」が伝わってきます。
快適に住むことはもちろんのことですが、来客者へのおもてなしも大切にしていたと感じました。
タイルのルーツは6世紀頃、本格的に建築などに使われるよになったのは7世紀後半だと言われています。
また、いろいろな事を勉強・研究していきその結果をご報告させていただきたいとおもっております。
@tama
⇒当時、呉須で花鳥や草木などの模様が主流だったそうです。
⇒和式タイプも染付が施されています。
そしてステンドグラスも…